2014年03月17日
個人の事を述べ
僕個人の事を述べれば、中学・高校時代は以上に疑問などは持たなかった。でも、30歳過ぎて、放送大学で朝鮮史を学んだ後、以上の事に疑問を持つようになった。幸い、その疑問に答えてくれるドラマをNHKのテレビで見た。題名は忘れたが、当時の日清両国の海軍の様子を描いたものだった。日本海軍は規律正しく、士気も高い。でも、清海軍は「いつも博打ばかりして、士気も大変低い」。その様子を知る西洋人(どこの国かは忘れた)が「この戦いはすでに決まっている。いくら装備が良くても、清は勝てるはずもない」と述べていたのが印象的だった。更に、当時の清帝国では、南部の人たちは特に麻薬や酒に子供の時から溺れる例が非常に多かった。どちらも体と心を徹底的に破壊するものです。つまり、そのような社会から軍隊を作っても、病人の集まりにしかならない。これでは、日本が勝つのも当然だったわけです。つまり、その「三百年」の間に中国社会は異変があり、まともに考えたり、動ける人が非常に減った事になります。何があったのか。kaskao的博客
日清戦争の50年余り前に、アヘン戦争があった。アヘンを取り締まろうとする清帝国に対して、利益追求の事ばかり思うイギリス政府が武力で圧倒し、アヘンを自由化させたという、極めて残忍な戦争がありましたが、当時のイギリスの行動は許されないものの、その前からアヘンを求める人が中国には多かったのも事実です。日本ではその取り締まりが厳しかったものの、求める人たちも非常に限られていました。さらに過去を見ると、17世紀初めに明帝国が滅び、清帝国に取って変わりましたが、その清帝国の統治が徹底したものであり、満州族の辮髪を漢民族の人たちにも強制させるなどの事が行われた。漢人でも能力のある人は役人に登用されたものの、押さえつけられ、管理はかつてのモンゴル帝国の時よりも完璧でした。 vieerli
Washall
zhang's Blog viery well
日清戦争の50年余り前に、アヘン戦争があった。アヘンを取り締まろうとする清帝国に対して、利益追求の事ばかり思うイギリス政府が武力で圧倒し、アヘンを自由化させたという、極めて残忍な戦争がありましたが、当時のイギリスの行動は許されないものの、その前からアヘンを求める人が中国には多かったのも事実です。日本ではその取り締まりが厳しかったものの、求める人たちも非常に限られていました。さらに過去を見ると、17世紀初めに明帝国が滅び、清帝国に取って変わりましたが、その清帝国の統治が徹底したものであり、満州族の辮髪を漢民族の人たちにも強制させるなどの事が行われた。漢人でも能力のある人は役人に登用されたものの、押さえつけられ、管理はかつてのモンゴル帝国の時よりも完璧でした。 vieerli
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Posted by likid at 16:32│Comments(0)
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